藍の可能性に惹かれて

藍の可能性に惹かれて

「藍のある暮らし」の提案や情報発信、商品開発を行う藍LABO。その発足のきっかけとは?

藍百姓の松吉拓大くんと知り合ったのは、那須高原でのイベントでした。

松吉くんは栃木県矢板で「藍百姓」をしています。お父上から農地を受け継ぐこととなり、農業を勉強するなかで心に留まったのが藍だったといいます。

藍は古くから日本の暮らしに欠かすことのできなかった農作物であるにもかかわらず、作付けは近年極端に減っています。日本の農地が全体で約420万ヘクタール、そのうち蓼藍(たであい)の農地面積はわずか約30ヘクタールに留まっている。東京ドームシティが約5ヘクタールとして、日本全体にある藍畑を足し上げてもその5個分にすぎないのか・・・

まさに風前の灯火、であるならば、受け継いだ畑で藍を育てることはできないか、と考えたのだそうです。

松吉くんの藍への思い、その熱量にはなにか動かされるものがありました。

作付けを増やしていくためには、やはり暮らしの中で使ってくれる人を増やさねばならない。栽培の傍らで藍の歴史や使い道をお伝えする、いわゆる広報活動も行なっているけれど、まだまだやりきれていない。

そんな話をするなかで、特に印象に残ったのは、藍が「食用」として大きな可能性を持っていることでした。
食されていたことは知っていましたが、調べていくと栄養価や機能面は想像していた以上。古くから「藍職人は病気知らず」と言われ、旅などでは種を薬代わりに懐に忍ばせていた、という話もあるほどだとか。

もともとZNEMでは日本伝統食文化協会などの活動をしていたこともあり、染色以外のところも含めた藍に対して大きな可能性を感じました。

藍百姓:松吉拓大さん

農地を受け継ぐことになり、農業の勉強をしている時に益子町で藍に出会う。農業大学に通いながら藍や綿を栽培している藍染め工場での見習いを経て、矢板市で「藍松」を始める。藍の栽培と同時に広報活動も行なっており、素材の可能性を説いてまわるほか、大河ドラマ「晴天を衝け」では藍の栽培指導も行なっていた。